大阪ホロスコープ講座は、11月3日(木・祝)と6日(日)の両日で初級①~④の4講座を開催した。
2ヶ月前から開催を告知していたのだが、実は全然申し込みが少なくて、愕然としていたのだ。
東京や名古屋で開催すれば、1週間前には15人以上が集まり、満席になって募集を終了する。しかし、今回の大阪は一週間前になっても人の集まりがあまりに少なく・・・6日に関しては、受付を頼んでいた知り合いに、受付が必要なくなった趣旨をメッセージで送ったくらいだった。
「申込者が4人しかいないから、受付は必要なくなったので、お願いした件はキャンセルで・・・」みたいな。
でも、実際はこの“4人”というのも、見栄で、本当は“3人”だった。
さすがに受講者3人では、1列も埋まらない。その風景を想像したら、恥ずかしくて、穴があったら、逃げ込みたいくらいだった。

“大阪は、アウェイだなぁ。”

大阪でホロスコープ講座を行うのは初めてだから仕方ないにしろ、・・・まぁ、楽しめる日だから、気分を入れ替えて、得られるものを得ていこうと自分を慰めていた。私はマイナス思考の人間なので、前向きというのは苦手なのだが・・・この程度くらいのことはできる。

この“楽しめる日”というのは、もちろん、ホロスコープから導き出したものだ。この辺りの時期ならば、自分は心地良く気分を上げていけるような運気ということ。

で、実際はどうだったかというと、3日は10人以上集まった。評判が良く、6日はさらに増えた。だから、やっぱり受付もお願いして・・・教室はそれなりに見栄えよく埋まった。
正直、ガラガラの会場では、こちらもテンションが落ちる。でも、星占いを学びたいという人がいっぱいいれば、私だって嬉しいのだ。で、私は“楽しめた”。

星占いというのは、どういうものか。
一つは、“追い風”“向かい風”の吹く時が分かる ということである。

この大阪ホロスコープ講座の日は、金星(=快楽を意味する)の角度により、“楽しめる”という形で、私に追い風が吹くのは分かっていた。だから、そもそもこの日に設定したのだ。

“追い風”“向かい風”のイメージとして、自転車に乗っている自分を想像して欲しい。向かい風が吹いていたら、ペダルを漕いでも漕いでも、全然前に進まない。しかし、追い風の時ならば、漕がなくても、すーっと進んでしまう。

もし、追い風、向かい風が吹く時が事前に分かるようになれば、あなたはその情報をどう利用するか?

東京や名古屋ばかりでなく、大阪でもホロスコープ講座をやって欲しいという声があったから、私はやろうと決めた。ただ、初めてだし、難しいところもあるだろう。だから、ここ数か月の日程の中で、“追い風”の吹く日時に開催したのだ。

星占いは、自分のやりたいことを手助けする情報を与えてくれるということだ。

でも、星占いを活用するには、あなたにはそもそもの目的地、やりたいことを決める必要がある。
まず大切にしてほしいのは、自分は何がしたいのかという“意志”と“目的”だ。

ただ、占いに頼る人の中にはそうでない場合が多い。
本やネットの占いのアドバイスの中には、

“あなたは○○だから、家業を継ぐと、幸せを引き寄せられる”
“○○の男性と結婚すると、幸せになれる”

“追い風”“向かい風”ではなく、ストレートに“幸せ”に導いてくれると言うものもある。
これらの“幸せ”とは、どんなライフスタイルのことであろうか。

まるで結婚相談所のおばちゃんに、“この人は公務員だから、将来安定していて、幸せになれるわよ”と言われているようなものかもしれない。
それは、おばちゃんから見ての“幸せ”であって、あなたの“幸せ”とは限らない。
幸せの価値観が合えば、おばちゃんは良い相談相手になるのだけれどね。

もっと昔の経験で言えば、学校の進路指導・・・まぁ、常識的な範囲内での、生活が安定向上するコース設定だ。

これらの“幸せ”というのは、財や家庭の充実というものを指すのだろう。
本屋さんに並んでいる占い本の場合、“幸せ”の代わりに、“金運が上がる”とか“成功する”とか“仕事も、いい男もゲットする”とかいう言葉が踊っていたりしている。

しかし、人間が求めるものは、必ずしもそういった世に言う“幸せ”とは限らない。

本能的に、人を惹きつけるのは、“興奮”“ワクワク感”“陶酔”“達成感”“パッション”“ファイト”“ダイナミック”“突破”“記録更新”といった人が持っている躍動感みたいものだったりする。スポーツや音楽というものがその分かりやすい例だろう。

都心のタワーマンションに住み、家族にも恵まれ・・・物質的に満たされていても、それが座敷牢に見えてくることもあろう。贅沢な目線だが、“退屈”と言うのかもしれない。
金銭や物質的に満たされていなくとも、何かに没頭している人間は、心も身体も熱くなっていて、このまま死んでもいいとまで感じているかもしれない。

“情熱”“ワクワク感”“パッション”“陶酔”“達成感”“挑戦”・・・といった類も、広い意味での“幸せ”という日本語に当てはまってしまうが、この文章の中では、便宜上、世に言う“幸せ”とは別ものとさせてもらう。

コスプレに熱中する人。あるアーティストの全国ツアーの追っかけをしている人。かつての日本女子サッカーのように、目立たないマイナーなスポーツで世界を目指している人。将棋で羽生善治に勝つために一生を捧げた棋士。SASUKE(番組)を制覇するためにフリーターのまま日夜練習し続けたおじさん。映画好きが高じて、映画カフェを開店してしまった女性。各種鉄道ファン。国境なき医師団。女性人権活動家・・・。

これらの人たちは、一般的な幸せ視点でアドバイスしている占い師にとってはお手上げなのだ。財運や恋愛運といったものが、それほど彼らの眼中には無いかもしれない・・・。

というか、彼らに、何が幸せなのかをアドバイスすること自身が野暮だろう。
やはり“追い風”“向かい風”がいつ吹くかということを伝えるしかできないのではないか。


哲学者のニーチェは言った。

“神は死んだ”

ここでいう神というのは、キリスト教、イスラム教、仏教的な“教え”を語る神のことである。
ついでに“幸せ”とは何かまで決めつけてきた。
その幸せというのは、聖職者や国、世間にとって、都合の良い“幸せ”だったのだろう。
そんなものを押し付けられるのが、嫌になった。
そこで、ニーチェは、“神は死んだ”と語った。これは、“神を殺せ”という意味に近い。
あなたは、生まれてからずっと刷り込まれている一般的な“幸せ”価値観を一旦、消し去ってしまう必要があるということだ。

ニーチェは、人が本能的に求めている、野性的な“躍動”“興奮”“陶酔”“達成”“わくわく感”“ダイナミズム”“突破”といったものが、世に言う“幸せ”の中に必ずしも含まれていないことを教えている。

あまり一般的な“幸せ”に捉われ過ぎると、逆を言えば、“幸せになれないから、やめなさい。”となる。
私は鑑定している時、ある職業に“適している”“適していない”と言うことはあっても、そのなりたいものに関しては否定しない。

失敗を怖れて委縮することが、人間と人生の魅力としての“パッション”を失わせてしまいそうな気がする。途中で挫折するかもしれないが、進みたい道、目的地、意志があるという人は、勢いや高揚感を持っている。

“脚本家になりたい。”
そんなことを願う人がいたとして、そこに経済的成功が伴えば、なお良いだろう。
しかし、経済的成功が伴わないから、“幸せになれない”“やめておいた方がいい”というのは、まるで学校の進路指導と同じだ。

生きる目的と意志、パッションを持つことは、この世に生を受けたことの醍醐味である。

相談者の中には、“私の天命は何ですか?”と訊いてくる人もいたが・・・それを人や星、神仏に決めされるなんて、もったいない話だ。

“考えるな、感じろ。”

ブルース・リーの言葉だ。
(ブルース・リー:俳優、武術家。ワシントン大学哲学科専攻で、高校で哲学の講師もしていた。)

それでも、自分のパッションの向けられる方向、興奮、躍動の感じられるものと、一般的な幸せ(財運、家庭運が良くなるもの)が一致していれば良いのだが・・・実際にはそうでない場合が多く、ギャップに苦しむ。


人が“幸せ”を譲ってしまう理由は、他にもある。

人間は、何を望むかは本来、自由なのだが・・・でも、人は自由を怖れる。

“自由に進んでいいよ”と言われても、他の人たちと異なる道を一人進んでいくことが怖い。

だから人は、他人の価値観に、自分の幸せを委ねてしまう。

その他人は、決して、幸せを保証してくれないにも関わらずだ。こんなはずではなかった、と後悔しても、どうにもならない。

“離婚しなさい”と言ってください。
と頼んできた相談者もいた。しかし、星を診ても、そもそも離婚がそれほど良いとは出ていない。
ただ自分の人生の進路を人に決めてもらいたいのだ。
人間は弱いものだ。
自分から、清水寺の舞台から降りられないのだ。

自分の望む方向に自由に進んでいいよ、と許可を出すのは、実は自分だ。
しかし、一人、自由にされると、頭がくらくらするほど怖くなる時がある。自分で責任を取ること、決めることがどうにも怖いのだ。

哲学者キルケゴールは言った。

“不安は、自由のめまいである。”

自分で自分の道を決めるのが、怖くて仕方ない。
だから、人は自由を放棄し、不自由になりたがるのだ。

そもそも意志も目的地も見つけられない。何に対しても情熱が湧いていない。自分の人生を振り返っても、やりたいことがはっきり言える時期はそれほどなかったような気がする。そんなものだろう。

会社勤めをしている人は、自分が乗っている組織というバスがどこかへ向かっていることは分かっている。それは特に自分の望む目的地でもないが、居心地が良いので、皆と一緒に乗っている。
しかし、窓の風景を見た時、自分の行きたい目的地を見つけてしまった。
自分はあちらに行きたい。バスとは別の方向だ。
その別の目的地に行くとなると、バスを降りて、皆と別れて、一人歩いて行かねばならない。
怖くて、当然である。
そんな窓の外に見た風景は、そのまま胸の中にしまっておいて、バスに乗せてもらう方が楽に決まっている。皆と同じ価値観で進んでいくということだ。
それが世に言う“幸せ”だったりする。

星占いは、追い風、向かい風が吹く時は教えられたりして、やりたいことを手助けする情報は与えられる。
しかし、どこへ向かうかを決めるのは、あなた自身である。

どこに向かいたいのかを決めないまま、もしくは、あなたの目的、意志、情熱、挑戦を理解されないまま、占い師に相談すれば、“適当に”一般的な“幸せ”価値観を押し付けられてしまうだろう。

“変なことを考えるのは止めて、あなたは○○をすれば、幸せな生活ができるわよ。”

いくら占いが好きなあなたでも、
パッションが湧き、
失敗してでも進みたい道を見つけられたのならば、
そんな上っ面なアドバイスする占い師に言ってやるがいい。

“大きなお世話じゃ。”