星占い師 つぼぼのホロスコープ星占い ブログ部

名古屋鑑定は6月12日(火)から。 秋はホロスコープ講座も開催。札幌講座は、9月29日(土)、30日(日)。東京講座は、11月3日(土・祝)、4日(日)。大阪講座は、11月23日(金・祝)、24日(土)であります。 詳しくは、http://tsubobo.com/contact.html

本サイトは http://tsubobo.com ホロスコープを読もう、学ぼうというサイトです。

ホロスコープリーディング

凶角のない人

凶角(ハード、ディフィカルトアスペクト)の無い人なんているのかしら? なんて言われたり、凶角の無い人が羨ましいとか・・・鑑定をしているとそんなことを言われたりする。
「吉角」、「凶角」という言葉は、おそらく、日本に“ハードアスペクト”や“ソフトアスペクト”という言葉が入ってきたときに、星占い師たちが訳に困って、まぁ、それまで日本にあった占い用語の“吉”“凶”を当てはめたのだと思う。

私が思うに、どうも星占い師たちは日本語に訳すのが苦手だったように思われる。星占い用語のほとんがカタカナ語のままだからね。カーディナルとか、ドラゴンテイルとか、・・・そのため、初心者には、テキストを読んでいるうちにちんぷんかんぷんになってしまうことも多々ある。苦手というより、下手だったというべきかな。

凶角というのは、ハード(ディフィカルト)アスペクトで、“強く出過ぎる”という意味である。強く出過ぎるので、コントロールが難しい。だから、災いにつながりやすい。だが、ちゃんとコントロールすると、大いなる力になるのだ。この辺りを理解して欲しい。

実際、“私はハードアスペクトが多すぎて、姉から悲惨な人生を送るわよって言われたので・・・”というのが、理由で、わざわざ東京から鑑定にお越し頂いたお客さんもいた。

そんなに人生は単純なものでないでしょう、と私は言いたいね。


私の知り合いで、マツさんという人がいて、実に、この人は、凶角が無いのである。

しかも、幸運の大三角形(グランドトライン)を持っている。
星占いをテキストだけでやっている人には、この人はさぞ豪勢な人生を送っていると想像するだろう。でも、違うんだな。

マツさんは、愛知県弥富市内で喫茶店を経営している。周囲は、少し離れれば、田園風景がぱーっと広がる片田舎だ。伊勢湾の河口の近くで、店の前には、大きな川面が広がっている。小さな舟なんかも停めてある。

いつも潮と田んぼの匂いが、風で吹かれてくるところだ。

車から降りて、その風にあおられると、落ち着いた気分になる。

喫茶店と言っても、ある意味、隠れ家的なお店で、・・・どう隠れ家的かというと、東京でも、看板を出していないレストランなんかがあるが・・・とにかく店が分かりにくいのだ。ツタが壁を多く張ってしまって、看板が見えない。しかもその看板が割れてしまっている。

店は、午後の1時までしかやっていないのである。午後に通れば、古びたシャッターが下りているので、とっくの昔に閉店したお店だと思うことだろう。

旧東海道の道に面しているが、喫茶店にでも入って休憩しようと思って運転している人でも気づかない。

そんなお店をマツさんは一人で回している。


ここまで書くと、落ち着いたお店に思われるが、このお店は、午前中はかなり混んでいるのだ。60歳以上の人生のベテランの方々ばかりだが、かなり賑やかしい。ゲートボール帰りの団体がだべっているのだ。

しかも競馬ファンのたまり場で、競馬のある日は、午後の閉店後にもいつもメンバーがごっそり集まってくる。ここのテレビはスカパーに加入している。この辺りでは珍しい。ただし、グリーンチャンネルという競馬専門の1チャンネルのみだ。

競馬の強者が集まっているというとそうではない。皆、ほとんど当たらない。近くにある場外馬券場に仲間のうちの誰かが買いに行く・・・、暇つぶしなのだ。マツさんなんて、数字を勘で書いているだけ。当たるはずもない。

穏やかな潮風のように時間が過ぎていく生活の中で、何か楽しいことはないかと、いつも皆で探しているような人たちなのだ。競馬もその1つということだ。
棚には週刊現代から、ジャンプまで雑誌も結構揃っている。そのせいか、マツさんは物知りだ。


私は、今は遠くに住んでいるので、月に1度くらいしか顔を出せないが、もう7,8年くらい通っている。私は40代だが、このお店ではかなり若い方。

こんちは、と言って、カウンターに座ると、“今日は、何しに来たぁ”という言葉が返ってくる。だいたい他の客とも顔見知りになっているので、当たり障りのない会話をする。この定年した人たち特有のまったりとした、特に大切でもない話がなかなか心地良かったりもする。


マツさんは、自分の生年月日を1941年4月2日という。でも、本人も言ってるが、どうも違うようだ。あまりに学年の終わりの方で生まれたので、数日遅らせて、4月にしたのだろうというのが、本人談だ。この年代の人にはよくあることだ。

で、私が本人の性格などから逆算してみて、おそらく3月28日だろうと思う。

仮に4月2日だとしても、マツさんには、凶角は無い。


カウンターに座ると、おしぼりと水が出てきて、そのうちにマツさんのコーヒーが出てくる。昔ながらの喫茶店のコーヒーで、ドリップしたものを、鍋に移して沸騰させるというものだ。だから、結構、苦味・渋味が出てしまっている。
それに、名古屋特有の習慣だが、モーニングサービスというのがあって、このお店ではゆで卵が付いてくる。
私は結構、長居したこともあったので、玉子屋さんが配達に来たのを見たことがある。ケースの中でどっさり山になっている玉子の中から、マツさんは、1つずつ手に取っては、選んでいくのだ。そのせいか、確かに、ここのゆで玉子は美味しい。
で、「今日は、堅いのにするか? 半熟にするか?」
と訊かれる。
私は、とりあえず、要らないふりをする。

なぜ、そんな遠まわしに遠慮をするかというと、私はコーヒー代を払ったことが無いからなのだ。

これまで一度も払ったことが無い。
まったく無い。
だから、“半熟がいい”なんてわがままは言う資格はない。

その昔、このお店に初めて入った時、ごく普通のことであるが、コーヒー代を払おうとした時、

“お前なんか、金払わんでええわ”と、代金受け取りを拒否されたのだ。

そんなことが何回か続き・・・、

私も気分が良くないので、美味しくて評判の高価な漬物を買って持って行ったことがある。
すると、マツさんは、「今日はもらっておくけど、お前、2度とわざわざ“買って”持ってくるなよ」と虫の居所が悪そうな顔をして言った。そしてその漬物は、その場に居合わせたお客に配られたのだ。

このマツさんの人のいいところはそれだけではない。お昼時に行くと、(つまり閉店直前に行くと)、

「お前、腹減っとるか?」
と言いながら、ラップに包まれたおにぎり2個を取り出し、1個を分けてくれる。しそのおにぎりだ。紫の細かな点々が入ってる。ラップを開けると、ぷ~んと酸っぱい香りが広がってくる。
でも、その私におにぎりを手渡す時の様子が、やや未練がましい。
聞くと、自分のお昼用に朝握ったものなのだ。 私もそれを知ってからはさすがにもらいづらくなったので、断るようになると、・・・トーストを焼いてくれるようになった。もしくは牛丼を作ってくれたりする。
それでも、マツさんは、一向にお金を受け取ることはない。
私も“いただきます”と言って、甘えている。

でも、マツさんは、お土産は受け取る。

だから私は出張などで、遠くに行くと、必ずマツさんへのお土産は忘れずに買うようになった。でも、そのお土産もほとんどの場合、その場に居合わせた人たちに分けられるのだ。
ただ面白いことに、かりんとうを持って行くと、独り占めをする。マツさんはかりんとうが好物なのだ。ほかのお土産は分け与えるが、かりんとうの時はこそっと店の奥に持って行ってしまう。かわいい人なのだ。


マツさんの人の良さは、私に対してだけではなさそうだ。マツさん曰く「欲しいものがあれば、言えば、誰かがもってきてくれる」という。

来るお客さんは、田舎特有の子供の頃から知っている者同士。同級生の人もいる。しかもほとんどの人が、兼業農家の人ばかりなので、ナスが欲しいと言えば、誰かがナスを持ってきてくれるのだ。とうもろこしが欲しいと言えば、別の誰かがどっさり持ってきてくれる。
野菜だけでなく、普通にお菓子の差し入れがある。
タイミング良くいくと、私もその一部をどっさり頂戴したりする。

凶角の無い人の人生の特徴は、食いっぱくれることが無いということだ。

生まれてから、死ぬまで、飢えるほどどん底には落ちない。
だから、のんびりとした性格になる。もし近くにポロスコープに凶角の無い人を見つけたら、よく観察してみるといい。

マツさんの家の母屋にも上がらせてもらったことがあるが、大正時代のオルガンがあった。16mmのフィルムに親父さんなんかが写っているという。つまり、それなりの名家だったのだ。


マツさんはその昔、お花の先生なんかもやっていたという。だから、お店の花瓶には花が飾ってある。残念ながら、店の中がごちゃごちゃしているので、せっかくの花に目がいかなかったりする。


この喫茶店は、マツさんが始めたわけではない。奥さんが始めたものだ。もう10年くらい前の話であろう。

生前はあまり仲が良くなかったそうだ。奥さんがお店をやっていた頃は、マツさんは店には顔を出さなかったという。
マツさんは、奥さんとはほとんど口も利かず、結構きついことを言っていたらしい。かなりの亭主関白だったようだ。


マツさんは、冗談のように言う。
「なぁ、人生の最大のギャンブルは“結婚”だよ。俺は、そのギャンブルに負けたんだよ。」

でも、奥さんが亡くなった後、マツさんは、奥さんのお店を閉じないようにするために引き継いだのだ。そして、このお店と奥さんの常連ファンも引き継いだのだ。

数年前まで、カウンターの背後の棚には、亡くなった奥さんの遺骨が置いてあった。
その位置に奥さんが立っていたそうだ。

奥さんが亡くなってから、四国八十八箇所巡りを始めたそうだ。でも、お店は火曜だけが休みなので、何週間もかけてずっと廻り続けているわけではない。バスで行って、何か所かずつ廻ってくる。今、三週目に入っている。

四国八十八箇所巡りだけではない。

マツさんの趣味と言えば、競馬と神社仏閣巡りだ。マツさんは友人には事欠かさない。賑やかな性格だから、男女問わず、いつも人が集まってきている。だから、神社仏閣巡りもツレはいっぱいいる。

で、私がそのおツレさんに、「この間はどこに行ってきたの?」と訊いても、「名前は知らんなぁ、こいつ(マツさん)が行こうというから、付いて行ったんだよ。」なんて答えが返ってくるだけだ。

旅行先では、写真をいっぱい撮ってきては、気に入ったものを引き伸ばして額に入れて、店に飾っている。

そして私が動画で見たいといったら、富士山の日の出を動画で撮ってきてくれた。

下の動画で聞こえてくる声は、マツさんの店の常連たちとマツさんだ。

http://youtu.be/Yq_m0cPMrAQ


マツさんは熱心で、多くの真言も暗記している。


マツさんに、なんでそのお寺に行ったのかと尋ねると、「こいつ(亡くなった奥さん)が連れていけって言ったからだよ」と答えられたりする。


私の個人鑑定を受けた人は、私が右手の小指に指輪をしていることを妙に思うかもしれない。私は金属アレルギーらしきものがあるので、金属はあまり身につけないのだ。時計もチタン製にしている。

この右手の小指にしているのは、マツさんが三週目の四国八十八箇所巡りを始めた時、最初の霊山寺で、友人のために買ってきたお土産だ。3つほど買ってきたが、一人が要らないと言ったので、「お前にやるわ」ということで、私がもらうことになった。
マツさんもすでに指輪をはめていた。
いつもただでコーヒーなどを奢ってもらっている私には、断るという選択肢はない。
そして、もし、次にマツさんのお店に行ったときに、指輪が付けていないと、マツさんが嫌な気分になるといけないので、ずっと付けていることにしたのだ。
付けたり、外したりしていると、忘れるでしょ。

マツさんは独りで暮らしている。

息子さんは2人いて、お二人とも、大手航空機メーカーに勤めている。孫も数人いて、20歳前後になっているという。
でも、あまり寄りつかないそうだ。

“お正月には、孫が来たけどよ、お年玉ねだられて、からっけつだぞ”と嬉しそうに話していた。

私は、母が亡くなったことを話した。
マツさんは洗い物をしながら言った。

「親父さんもお袋さんもちゃんとお前を見守っているよ。」

「・・・そうかなぁ」

「お前は子供の成長をいつまで見守っていたい?」

「・・・死ぬまで見ていたいな」

「そうだろう。親は口出せなくても、子供のことがずっと心配なんだよ。」

私の顔を見て、スケベな雑誌を覗いている時と同じ、しわを寄せてニヤリとした顔をした。

私は、下の息子さんと同じ年なのだそうだ。

それが、私のただメシの理由かもしれない。

マツさんのコーヒーは濃くて、苦い。
でもって、私が砂糖を入れようとすると、
「砂糖なんか入れんでええ、お前のは薄めてある」そうだ。

秋になると、庭にある筆柿を獲って、皮をむいて、干し柿を作っている。マツさんは、午後はそんなことをしていたりする。

その横に洗濯ものが干してある。

くたびれた白い男もののシャツ、パンツ、タオルが並ぶ前に、干し柿が縦に何列も並んでいて、風にゆったりと揺らぐ。

マツさんは自分の墓も用意している。代々のお墓とは別に、共同墓というのを建てたのだ。お子さんがいなくて、入る墓がないというか、墓を建てても誰もお参りをしてくれないとか、・・・そんな人が誰でも入れるように特別なお墓を建てたのだ。そこにマツさんは入るらしい。先祖代々の墓には入らないんだって。多くの他人と一緒に入って、見知らぬ人に参ってもらって、“この人は誰の家族やろ?”なんていいながら、あの世の生活を楽しむそうだ。


生まれた時の星並びに凶角の無い人は、安泰な人生を送れる。

時々、現行の星と凶角を作ると、普段、試練に慣れていないせいか、ダメージが大きい。それでも、その後、ちゃんと救われたりする。
さらにマツさんは、幸運の大三角形まで持っているから、その試練の数もずっと少ないだろう。

でも、厳しい試練を受けないためか、食うに困らないためか、ハングリー精神が出てこない。欲が無くて、こじんまりとした人生になってしまう。

そう、欲が無い、向上心が弱いのが、凶角の無い人の特長なのだ。


幸せか、不幸せかと言われれば、もちろん、幸せの部類に入るだろう。

食うには困らないんだから。

しかしながら、今の“成功者、正社員、非正規雇用”“勝ち組、負け組”という、せちがない世の中で、皆が贅沢をしたいと思う世の中で、こういうこじんまりとした人生をどれほどの人が羨ましいと思うだろうか。


おそらく、今の世の中では、“強く出過ぎる”凶角があった方が生き易いのかもしれない。実際、社長さんたちの星並びを診ると、凶角だらけという人も結構いるしね。競争心やハングリーさ、欲望があって、それを満たそうと奮闘して、実際に手中にゲットして、喜ぶ。これが普通にいうところの“幸せ”でしょ。


海から吹く風が、毎朝心地良く感じ、楽しい仲間といっしょにいられるだけで幸せを実感できる人生が、しょぼく見えたりする。たかだが、田舎の喫茶店の経営者。

それが今の世の中だったりしてね。


あなたはどっちがいい? 凶角のない人、
or 凶角のある人。

・・・でも、私はマツさんが好きだ。 ただでコーヒーを飲ませてくれるから。


お店に来るお客もみな、マツさんのことが好きなのだ。


明るい気分にさせてくれるから。

母が亡くなりまして

 多くの人のメール鑑定の受付をストップさせて申し訳ございませんでした。

  実は先週4月2日(水)に、母が亡くなりまして、葬儀の関係でどうにも時間が無かったこともあり、気分が乗らなかったこともあり、・・・そんな理由であります。

 まだお待たせしておりますが、もう少々お待ちくださいませ。



私の母との一番古い記憶の一つが、暖かい日差しの中、手をつないで散歩したことで、そこで私はたんぽぽを見つけ、そのまぶしい黄色い花を持って帰り、家の玄関先で牛乳瓶に生けておいたことだ。幼い私は、そのたんぽぽを嬉しく何度も眺めていたのだ。

だから、病院に向かう途中、道端のたんぽぽの花を見て、そんな記憶を蘇らせていた。



桜がきれいで、これまた、自分の小学校の入学式を思い出す。思い出すというより、唯一の入学式の写真は、校門の前で母と並んで撮ったもので、よくありがちな風景だ。小学生になる嬉しさと怖さから、しっかりと手をつないでいた。柔らかく、働き者の手だった。写真の背景には桜がわたがしのように、まーるく満開になっている。



母が入院したのは、2月21日。風邪をこじらせ、デイサービスのヘルパーさんから連絡があり、駆け付けた。意識はあったが、衰弱し、喋れる状態ではなかった。風邪をこじらせたのだ。救急車を呼んだ。私は、おふくろの入院には慣れていて、心臓が悪いこともあって、2、3年に一度は入院していた。だから、救急車を呼んでも、それほど焦りはしない。スリッパと、箱ティッシュと、コップ、歯ブラシ・・・。持っていくもののリストももうだいたい頭の中に入っている。

診察、検査で4時間くらいはかかったろうか。ひどく腹が減って、売店で菓子パンを買って、薄暗い廊下の無機質な長椅子で食べたのを覚えている。

医者からもらった入院計画書には、入院予定は3週間となっていた。リハビリの予定もあるということだった。

だが、私は1ヶ月以上に長引くだろうと思っていた。

母は病院に馴染んでしまい、人懐っこくて、明るい性格なので、患者仲間ができてしまい、いつも予定などより長く滞在することになるのだ。母は保険にも入っているので、入院の日数など伸びても、お金のことなどまったく心配していない。それどころか、3年前に3ヶ月入院した時は、逆に何十万円か入り、“お袋、入院していた方が儲かるんじゃないか”って冗談を言っていたくらいだった。



今回は2月に入院してから、週に何度か、洗濯ものを取り替えに病院に通うことになった。片道、車で40分ほど。病室に行っても、酸素マスクをしたり、口から管を入れられたりしていたので、まったく話すことができない。それどころか、ほとんどが眠っていた。がーがーと寝息を立てて、眠っていた。ずっと話のできないままであった。ぼんやりと意識はあったようだった。おそらく寝ていなければ、こちらの話していることは聞こえていたのだろう。

私は見舞いに行くが、いつも行った甲斐を感じることなく、時間を過ごしていた。たいがいは仕事のメールを打っていた。

洗濯ものを取りに行って、紙オムツや尿もれパット、カット綿を買い足すのが私のやることであった。



そのうちに、母はだんだんと容態が悪くなっていき、下血までするようになり、輸血をするようになった。

それでも、私は必ず、いつも通りにケロッと回復して退院すると信じ切っていた。

およそ10年前に心臓の手術をした。人工弁を入れたのだ。その時はカテーテルもした。そんな風景を見てきたし、緊張もしてきた。医者の神妙な説明を聞いて、その時はほんとうにだめかもしれないと思ったりもした。でも、母は元気に回復してきた。

心臓に人工弁を入れてからは、あまり運動ができなくなったためか、だんだんと身体が弱くなっていったような気がする。飲む薬も年々増えていった。病院に2ヶ月に1度は通い、薬局で薬をもらう時は、あまりに種類が多いので、10分以上は待たされていた。

一方で、忘れたころに入院するようになっていた。



おふくろは、働きながら、3人の男の子を育てた。負けず嫌いで、女っ気はほとんど無かった。化粧をすると不気味なものだった。クリーニング店で20年以上もパートとして働いたが、職場でもよく頼られ、典型的な“肝っ玉”母さんだった。

私はよく、声が大きいと言われるが、それは母親ゆずりである。



母が入院しても、私はいつも個人部屋ではなく、4人部屋を頼んだ。お金が安いからではない。母はすぐに友人を作る。4人部屋の方が、友人ができ、おふくろは活き活きするからである。

だが、今回はHCUとかいう特別な治療室以外はずっと個室であった。

母にしては珍しい入院であった。



4月2日(水)は、朝、医者の先生から容態が悪くなったという電話を受けた。昨夜は尿が50ccしか出ていないという。

私は、今日は仕事があるので、明日行きますと伝えた。

でも、その後、どうにも気分が良くなかった。

気になって、自分のホロスコープを眺めた。

週末に、生まれた時の木星と現行の金星が凶角180度を形成する。もうその効力範囲の5度以内に入っていた。

木星と金星の凶角、特に180度凶角は、“失恋”の星である。

悲しい出来事がある星並びである。



私は、仕事の段取りを変え、病院に向かうことにした。それでも、楽観的な私は、すぐに飛んで行ったわけではない。おふくろの入院している病院は市立の総合市民病院で、午前中に行っても、駐車場が入れないのだ。だから、いつも外来のない午後に行くようにしていた。その日もそうだった。午前中は家で仕事の調べものをして・・・。



病院に向かう途中。川沿いを走った時、堤防の土手にたんぽぽが咲いていた。

幼い頃、母と散歩した日もこんなふうによく晴れていた、と思う。

春の青い空の下に、点々として咲いているたんぽぽだ。



病室に着いた時には、医師や看護師が忙しそうに母の口に管を入れていた。

入院してから数日後には、母は管を入れられていて、苦しそうだった。でも、呼吸ができるようになり、外したのであった・・・が、また入れられるのか。

「今から、作業をしますので、ちょっと家族控室に行っててもらえませんか」

来る予定でなかった私の顔を見て、少々驚いた様子であったが、そんな声を掛けられた。私は、手に持っていた洗いものの母の寝巻などを入口近くに鞄ごと置いて、部屋を出て行った。



しばらく家族控室で待っていた。

電話をしていると、今度は「すぐに来て欲しい」と看護師に呼ばれた。

部屋にいくと、数名のスタッフに母は囲まれていた。

医者は「息子さんですよ~」と母の肩を叩きながら、大きな声を掛けていた。



私は、医者に尋ねた。

「退院は・・・?」

担当の女医さんは、

「それはもうありません」と両手を横に振った。


 私は自分が間抜けだったことに気づいた。あまりに物事を自分の良い方ばかりに解釈していたのだ。

黒くて四角いに数字が出ていて、それが、心拍数というもので、だんだんと数が減っていく。利尿剤を使っても尿が出ないということは、腎臓ももう使えなくなっているのだろう。かといって、もう人工透析に耐えられる身体ではない。

デジタルの大きな数字は、48、、、36、、、と下がっていく。


「ご家族の方にお電話をしてください」

 私は、東京にいる兄に電話した。もちろん、仕事中だ。
 兄にとっては、私以上に、事態が実感できずにいたろう。

 「心拍数が減っていって、今、28だよ。・・・」

 
 医者は、手を握ってあげて下さいと言った。

ちいさな手だった。



昨年11月に母の姉に当たるおばさんの墓参りに行った。そこは、名古屋市内の広大な墓地だった。おふくろは脚が弱っていて、長い階段を登れない。だから、車でできるだけ近くに行って・・・それでも、やはり階段があって、私は母の手をつないで階段を登った。

久しぶりにつないだ母の手だった。

その時も、私は母の手が細く小さいと感じ、ショックを受けた。

私の記憶にある母の手とはあまりに違っていたのだ。

帰りには、近くのイタリアンレストランでランチを食べた。そのお店の味は美味しく、あまり食事を誉めない母も喜んでいた。暖かい小春日和で、窓際の席だった。



私は、母の身体が弱っているのは十分に、、、ところどころ、分かっていたのだ。

ただ、認めていなかったのだ。

働くことが趣味で、ガッツだけが取り柄の母で、頼り甲斐のある母であるのだ。


 私は耳元で、大きな声で叫ぶ、「・・・おふくろ~~~・・・」

 わずかに、心拍数が上がるが、また少しずつ減っていく。

 「・・・嘘だろう・・・」

 私は我慢できず、ベットの柄を噛みしめた。

心拍数は

9、、、9、、、9、、、9、、、0、、、0、、、0、、、0、、、

心臓は止まった。
 
 私が病院に着いて、1時間ほどでの出来事であった。

 母は私の到着を待っていたかのようだ。
 すーっと、力が抜けていくように、ふわっと、逝ってしまった。

この日に限って、腕時計を忘れていた。私が腕時計を忘れるのは珍しいことだ。そんなこと年に一度もない。

母のなきがらの横たわるベット。私。その病室の窓から、ゆっくりと陽が暮れていくのを眺めていた。

何時だか分からないまま、ずっと、2人きりの部屋にいた。


 母の誕生日は3月31日で、80歳の誕生日を迎えて、3日目のことだった。

 
 夜の9時頃、兄がやってきた。
 9時半ごろに、おふくろのなきがらとともに、病院を後にした。

葬式の日。

時おり雨も降り、風は強かったが、桜がきれいだった。

火葬場の近くの公園は満開だった。

火葬の待ち時間の間に、桜を見に散歩した。



おふくろとはよく言ったものだ。

“袋”なのだ。

いつも私をずっと包んでくれていたような気がする。

大学進学の時、哲学科に進むと三者面談で言ったら、母は先生の前で泣いた。それまで家では話が着いていたのに。母が泣いている姿なんて、他に覚えがない。

就職の時、大手の銀行の内定を辞退した時も、母は困ったような顔をしていた。その時、私は将来、親孝行をしようと心に決めたものだった。

数年前、独立してからも、母を病院に送り迎えした時、“お前、ちゃんと食えてるか?”と言って、お小遣いを渡してきた。いつも受け取らなかったが、一度だけもらった。その頃は本当に仕事が無かったのだ。


 よく星占い鑑定で、“人の死は占えますか?”と訊かれることがある。

 
 本人のホロスコープを診ても、それほど目立つ星回りでないことが多い。
 むしろ、その周囲の家族の星回りを診た方が参考になる。

 財産がいきなり転がり込む星並びだったり、時に、奥さんでも“解放”を意味する星並びだったりすることすらある。

私の場合は、母の死は、“失恋”の星並びだった。


 私は8年前に父を亡くしている。

 これで、父と母を、私は亡くしたことなった。
 生まれてから、これまでずっと多くのことを話してきた人が、この世からいなくなり、もう2度と話せなくなるということだ。

また人生の中の1つの“卒業式”を迎えたような気がする。


 1つの名も無い家族の物語が終わり、バトンタッチされたということだ。

 私は泣きたい。“おかあちゃん、おかあちゃん”と、母親を見失った幼子のように泣きたい。
 でも、もうそれが許されないということなのだ。
 バトンタッチとはそういうことだ。

手紙

私は基本的にメールの鑑定はしないのよね。不倫とか、かなりナーバスな問題になってくると、とても文字では伝えきれないからさ。だから、内容を訊いて、シンプルな問題の時しか受け付けないようにしているんだけど。

でも、新潟県にお住まいの方から、どうしても名古屋へは行かないのでというので。
それはそうよね。いくらなんでも遠いわな。日帰りは無理だし。
内容は、ある女性から、20代の息子さんのことが心配なので、診て欲しいと。
どんな状態か、性格とかを診るくらいなら、あまり言葉による誤謬も少ないから、引き受けたんだけど。

相談のメールは、
“主な相談ごととしては、息子の就職についてです。専門学校を卒業後アルバイトで生計をたてて4年になります。アルバイトでも正社員でもどちらでも、彼が日々幸せに暮らしているならそれでいいとは思っていますが、暮らしぶりを見ているとそうは思えなくて…早くきちんとした仕事に就いて欲しいと思っています。そのためにも良いアドバイスを頂けたらと思うのです。”
 
息子さんとは離れて暮らしているみたい。

その息子さんの生年月日は1989年11月28日。
ホロスコープを見てもらえるかしら?
 http://www.m-ac.com/index_j.html

シングルチャートを診ると、この男性は、生まれついてのどん底星(木星と海王星が凶角180°)に、さらに試練の土星が加わっている。何か、かなり重い試練を人生で背負わされているわね。
冥王星・火星と海王星&土星が吉角60度。スピリチュアル相(冥王星と海王星が吉角60°)もあるけど、・・・もう一つの冥王星と火星が重なり、土星が吉角ということは、本当によく働く人だわ。自分の限界に挑戦するほど、よく働くはず。ワークホリックかも。そして、海王星(感情)と土星(抑制)が重なっているので、表情をあまり表に出さない性格。我慢強いはず。
人生を通じて、重く影響するような試練を持っているけれど、タフで、よく働いて、我慢強くて弱音を吐かない。

それが息子さんの人間像。

ダブルチャートで診ると、息子さんの冥王星と現行の木星が9月頃、吉角120度を形成するので、何らかのチャンスがあるかもしれない。力はそれほど強くないけれど。

“彼には、生まれつき右の手に大きなあざがあります。手の甲全体が、青黒くなっているのです。
あざのことなんて気にしないように元気で明るい子にと育てて来ました。そうとはいっても就職出来ないのはあざのせいもあるのかなと…病院に行ってみようかと言っても、本人は「気にしてないから大丈夫」と言うばかり…。
アルバイトはなんの仕事であっても一生懸命取り組んでいるようですが、要領が悪いのか欲がないのか、最低生活出来たらいいくらいの感じなのです。
この間、1年半ぶりに帰ってときは妹たちより細い?そんな体型だし、靴に穴が開いていました。
見てる私のほうがツライ (>_<)  帰っておいでと言っても、・・・「帰る」とは絶対に言いません。”
 
どん底星+試練の土星は、手のあざのことだったのね。
幼い頃から、右手はいつもポケットに入れて隠すようにしていたね、きっと。
このことでかなり精神的に凹まされる思いをずっとしてきた。
でも、一方で、それが生まれつきのどん底星の人特有の打たれ強さを持たせたはず。おそらく、お金の無いことくらいは平気。この星並びで20代なら、そのくらいのことには堪えられるようになっているでしょう。もしくは金銭に関しては守りが固くなっているので、お金が底をつくなんてことはないと思うのだけれど・・・。

どん底星+試練の土星。
凶角は出過ぎてしまって、その人生をしばしば悲しいものにするのだけれど、それらを乗り越えるとかなりの“強運”を持つ人間となる。
辛いことに対する耐性が強く付いてしまう。ただし・・・途中で、折れなければね。
だから、創業社長なんかは、結構、強い凶角を持っている。甘ちゃんじゃ、ダメなのよ。事を成し遂げる人はね。

この息子さんは、土星、太陽、冥王星&火星が30°と弱いけれども吉角で並んでいる。冥王星は今もだけど、土星も昔はさそり座の守護星で、運気上は似たような働きをするのだけれど、ほんと“我慢の子”で、じっくり目標に進むタイプなのよね。粘り強い。

ただし、ダブルチャートで診ると、今(2013年7月下旬)まさに、現行の冥王星、天王星、木星による魔のTの字に、本人の木星、海王星、土星が組み込まれようとしている。
つまり5つの星による魔のTの字ができる。
これは、一生に数度しかないような滅入る出来事が起こる星並び。

マイナス作用が強過ぎる。

何も起こらないはずはないと言える。この8月はかなりやられるんじゃないかな。
さすがに、我慢強い息子さんでも、精神的に大ダメージを受けることでしょう。
でも、この子は、耐え続けるんだろうなぁ。耐えられるかな?

だから、私はメールの主に、“息子さんがお盆に帰ってきたら、お小遣いをあげてやってください”とアドバイスしたのよ。

この5つの星による、しかも木星より外側の大きな力を持つ星ばかりの魔のTの字だから、経済的なダメージもあるだろうから・・・。

でも、そういうんじゃなくて・・・。

この息子さんは、おそらく、どんなに辛くても、お母さんの前では弱音を吐かないんだな。
辛抱強さが板についてしまっているから。
それが分かっているから、この星回りを見ていて、・・・余計に辛いね。
でも、今度はさすがに心が折れるかもしれない。星の力が強過ぎる。
だから、心の支えが必要になるんだな。

この息子さんは、お母さんからお金をもらっても、使わないかもしれない。
きっと、貧しいことには平気だから。

大事なのは、遠くからでも見守っている人がいるということを伝えること。
弱音を吐いたところで、どうにもならない辛い時期というのは誰にもあるからね。
それを誰にも言わずに一人で抱え込んでいたら、もっとしんどくなる。
でも、分かってくれている存在がいたら、どれだけ嬉しいことか。
語りたくなければ、語らなくてもいいけど、分かっているのよ。こっちはね。

長い目で見れば、彼は大丈夫。
這い上がれる力を備えている。すっげータフ。
打たれて、打たれて、どんどん強くなるタイプ。

まぁ、誰だって、同じで・・・打たれて強くなるんだけどね。

木刀で何発も叩かれたように、ボロボロになって、“自分は底の底にいる”と開き直った時に、たいてい、いい方向に改善していくんだよね。そんな気しない?

なぜ、こんな話をしたかというと、実は昨日、個人鑑定にした男性も、思春期の長女のことが心配でいらっしゃったのよね。
最近、夏休みのためか、多いんだ。
自分の子供は、将来、どんな人生を送るのかとか。

親は誰だって、子供のことがいつも心配なんだよね。

だから自分より、子供の星を診て欲しいという親はいっぱいいるんだよね。


そういえば、私も収入が無くて、お金に困っていた時に、親がこそっと数万円くれたことがあったなぁ。

どうして親って、子供が困っているのが分かるのかなぁ。
プロフィール

つぼぼ