先日、知り合いの結婚式に出たら、新婦の親戚が家族で「恋ダンス」を踊っていた。
最初は小学生、幼稚園くらいの女の子、男の子の子供3人が踊っていていた。が、2フレーズ目から、40代くらいのお父さんとお母さんも加わった。そのお父さんとお母さんは、2人ともしゃれっ気の無い眼鏡をかけていて、いかにも真面目そうな人だった。5人ともフォーマルな格好していて、娘さんはかわいらしいドレス。ぎこちなく踊っている5人の姿は、幸せそうな家族そのものだった。
この「恋ダンス」というのは、誰が踊っても恥ずかしいということのない、懐の大きな点も受けているのだろう。

「逃げるは恥だが役に立つ」というドラマがどんどん視聴率を上げていって、話題となっているが・・・私もあのドラマを少し見ていて、星占い師として、なるほど、こういうことかと思い当たるふしがあった。

前回のブログで、運気の追い風や適職の成功の度合いも社会環境や時代によって変わってくることを話させてもらった。実は恋愛の形も最近変わってきているのだなぁとつくづく思うことがよくある。
「逃げ恥」の内容を簡単に話せば・・・彼女いない歴35年の35歳の男性が、恋愛することなく、事務的に契約結婚というもので、ある若い女性と一緒に暮らすことになり・・・だんだんと恋愛するようになるのだが・・・というもの。ムズキュンという初恋に似た感情もさることながら、熱い恋愛は避けるけれど、結婚はするというスタンスが受けているようだ。いい意味での草食系の恋愛ドラマとも言えるかな。

恋愛の相性診断については、「愛の鉄板法則」シリーズで、いくつかのパターンを説明させてもらった。エロ星(金星♀×火星♂)ができると、ときめいて燃えやすくなるとかね。
その中で、くされ縁は、吉角にしろ、凶角にしろ、グランドトライン(正三角形)やTスクエア、グランドクロス(十字架)など強いアスペクトによって生じると話した。くされ縁とは平たく言えば、がっちりとした離れにくくなる、付き合いが長くなる関係のことだ。

その逆はどういう関係になるか?

凶角ばかりでは、そもそも嫌な相手なので、友人になることはない。だいたいそんな人の生年月日も知らないし、知りたいとも思わない。そこそこの吉角の相手ならば、まぁ、そこそこ気の合う仲間といった感じだろう。

では、相性鑑定で吉角も凶角もほとんど無い相手とはどんな人か?

中学や高校時代に、クラスに終業式までほとんど話をしなかった男子って、いませんでした?
(あなたが男性なら、女子)
まぁ、職場にもそれくらい無関心な同僚がいることでしょうけど・・・。

そういう人との相性鑑定してみると分かるのだが、吉角、凶角ともにほとんどできない、もしくはゆるいもの、弱いアスペクトしかできなかったり。
共感して盛り上がることもなく、ケンカするわけでもなく、ただそこにいるだけといった人たち。空気のようと言えば、そうとも言える関係。

そんな人たちとはあまり深く関わることが無いだろうと思っていたが・・・鑑定していると、最近は、こういった関係が恋愛になっていたりする。

どういうことか?

クラスの中で、ほとんど口をきくことがなかったような相手というのは、・・・逆に言えば、“人畜無害”ということ。また“干渉し合わない”関係でもあるのだ。
私もどうしてだろう?と思っていたのだが、この“無害”というのと、“空気のような存在”という男女の関係が、今どきは居心地良いようなのだ。

鑑定していて、相談者の彼氏との相性を診てのだが、・・・エロ星(金星♀×火星♂)や恋愛星(金星♀×木星♃の吉角)、一目ぼれ星(金星♀×天王星♅)・・・といった恋愛につながる星並びが無く、あってもそれほど強いものではなく・・・“この人のどこに惹かれているのですか?”って、私が逆に訊いたりする。
すると、

「この人に男性的な魅力とは、感じたことがほとんど無いですね。」
「一緒に居ても、話はあまり盛り上がらないです。」
「あまり気に掛からず、楽にいられます。」

といった答えが返ってくる。

倦怠期を過ぎた夫婦ならともかく、これが結婚前の、同棲中のカップルだったりするのだ。
彼女、彼らが求めているのは、熱い恋愛ではなく、人畜無害、互いに干渉し過ぎないということ。行き過ぎた恋愛というか、男女が一緒になると、DVやストーカーといった問題が出てくることもある。自分が被害者にしろ、加害者にしろ、DVやストーカーというような関係は避けたい。
さらに財運を落とすような相手では困る。
つまり、相手には“無害”であって欲しい。
これが恋愛において、最優先されるということだ。

一方、熱く燃えるような恋愛も嫌ということであろう。燃えるような恋愛は、見方を変えれば、しつこい、ねちっこい、暑苦しい恋愛でもあるわけだから。あまり気を取られたり、干渉されるのが嫌なのだ。
というわけで、むしろ、互いにある程度、クール、“無関心”であって欲しいというようなスタイルの恋愛観ができてしまっているということだろう。

こういう相性の、運気的にも淡白な恋愛を求める傾向は、前から再婚の人には時々見られた。
最初の結婚が熱い恋愛で始まったのだが、その後、いろいろと苦労して・・・だから、2度目は落ち着いた生活のできる相手が良いと・・・。
そういう相談者の相性鑑定をすると、やはり“どこに恋心があるのだろう”というような関係だったりする。私は、“死ぬまで独りでいるのは淋しいから、ともに歩む人が欲しいということだろう”と理解していた。それはそれでよく分かる心境だった。

でも今は、普通に若い人たちが、吉角も凶角もない“同じクラスでもほとんど口をきかなった”淡白な存在感の相手との恋愛を最初から求めるようになっているのだ。

そもそも各種研究所が発表しているデータを見れば、若い人たちが彼氏、彼女を作らなくなってきている傾向が鮮明になっている。かつて“彼女いない歴○○年”とか“SEXの経験なし”というのは、恥ずかしくて、堂々と人には言えなかったものだ。

もう少し俯瞰してみると、・・・西洋占星術は2500年以上の歴史がある。
結婚するのに、恋愛をして、広く自由に相手を求められるようになったのは、戦後の、しかも1960年代以降だろう。戦前、戦中を舞台にしたアニメ映画「この世界の片隅に」の主人公すずも相手をほとんど知らずにお見合いで恋愛無く結婚している。結婚した後に恋愛をしているが。私の親の世代も、映画などで“自由恋愛”を夢見ながらも、実際にはお見合い結婚している。
明治や大正時代になれば、それこそ、家同士のバランスや付き合いなんかも大いに影響したろうし・・・よくよく考えれば、自由に恋愛して自分で相手を決められた時代は、歴史的にはずいぶんと短い期間だった。

となると、“自由に恋をして結婚する”というのは、1つの流行だったのではないかと思われてくる。

街に流れるクリスマスソングは不思議と、今だにワム!(Wham!)や山下達郎といった20~30年前の曲だったりする。
もしかしたら、“自由恋愛をして結婚”は、日本のバブル時代前後に刷り込まれた幻想ではなかろうか。
実は、それほど多くの人間が、“激しく自由恋愛をして結婚”ということを性格的にも運気的にもできないのではないかと思ったりもする。
今、若い人たちが“恋愛が面倒くさい”と素直に言っていたりするが、実は昔からそういった人たちが結構いたのだろう。ただ、周囲の雰囲気で言いづらかっただけでなかったのかな。だから“夫婦は共同経営責任者”という言葉にも強く共感されているのだろう。世を生き抜くための戦友みたいなものだと。

鑑定していて思うのは、今は30代後半で結婚相手が上手く見つけられず、結局、結婚相談所や婚活にいそしむ人たちが多いということだ。前に働いていた会社の同僚は、結婚相談所に登録することが恥ずかしいと考えていたが、今思えば、それこそ“広く自由に恋愛して自分で相手を探すのが、本来の結婚”という呪縛にかかっていたのだろう。日本人の歴史全体でみれば、お見合いなど、周囲の世話によって結婚してきた歴史の方がはるかに長いわけであるから、元に戻りつつあるだけなのかもしれない。夫婦は共同経営責任者という言葉に共感すること自体、恋愛よりも生活を共に営んでいくことを重視しているわけで。
戦後、もしくは明治維新以降、多くの文化が西洋から入ってきたが、どうも、多くの日本人はフランス人やラテン系のような恋愛スタイルはいつまで経ってもなかなかマスターできないようで。そうありたいとは願っているんだけどね。

で、“周囲に世話をされて結婚”というシステムが、多くの人が地元を離れたり、地縁が無くなったりといったこともあって崩れてしまい・・・結婚できずに困っている人が多くでてきたと。そもそも実は恋愛を楽しめる民族でもないし、みたいな。

十年ほど前に、携帯のメールなどで若者たちが好きな相手に告白していることを知った時は、なんて時代が来たんだと感心したことがあった。だって、私の高校時代は、電話か、直接面と向かってデートに誘っていたわけで、そりゃ、誘おうと思った前の晩から心臓がバクバクさせていたわけですよ。電話だと相手の親がまず出るわけで・・・。それが、時間を考えず、携帯のメールで直接デートに誘って・・・なんて、ずいぶんお手軽になったものだなぁと。

ところが、そんな手軽さが裏目に出て、SNS時代になって、告白すると、あっという間に仲間に知れ渡るようになった。まぁ、告白したことを知っているのは、告白された相手だけのはずで。その告白された人が、友人に話したりするんでしょうね。するとその友人がアップしてしまうと。
まぁ、告白して上手く行けばいいけど、告白された側は“私、○○君にデートに誘われちゃったけど、・・・”なんていうのは、周囲から見れば1つの勲章になろうけど、・・・断られた側は・・・周囲にバレバレでは、恥ずかして恥ずかして。振られた経験の少ない者にとっては、相当なトラウマになることだろう。
そんな情報拡散の時代になったせいで、若者たちは告白もしづらくなったようで。

本当は、ラテン系のように自由恋愛も平気でできる恋多きタイプ、恋には憧れるけど腰重いタイプ、恋にはほとんど関心無いけれど一人では生きていけないタイプが、どの時代にも同じような割合でいて、ただそれが商業メディアも含めた社会環境、教育、倫理観によってなんとなく恋愛スタイルの風潮に流されているだけではないのかな。まるでファッションのように。

熱い恋愛なんていうものは、本来、熱愛体質の人間だけができて、それ以外の人間はそこそこの恋愛で十分なのかもしれない。ただ、“○○のような恋愛が素敵だ”と小説やドラマ、演劇などのメディアに刷り込まれて、皆が同じような恋愛を目指すようにさせてられているとか。

90年代はトレンディードラマでね、熱い恋愛がもてはやされてね・・・でも、現実にはそんなドラマの主人公に皆がなれるはずがなく、で、今は「逃げ恥」のような恋愛になっていると。まぁ、それはそれで偏っているのかもしれないけど。


となると、星占いの鑑定も昭和の恋愛観でアドバイスしてはならないわけ。
昭和の恋愛観で書かれた西洋占星術の本を鵜呑みにしていては、「逃げ恥」のような恋愛は理解不能で、脳みそがフリーズしてしまう。

時代によって変わる社会環境に合わせて、西洋占星術の鑑定法も変わるということですよ。
その時代の価値観とか恋愛観に対して、敏感になっていないといけない。

だから最近は、相性鑑定でも・・・

「相手にあんまり好きといった感情が無いよね。第一印象も弱かった。熱い気持ちも湧かない。
 人畜無害で、執着心も無いし、存在感がない。
 いいねぇ~“逃げ恥”みたいで。」

と言ったりもする。

この“逃げ恥みたい”という言葉に良い印象があるから、・・・これはこれで伝わりやすくなったな。