先日、開運商法といういわゆる詐欺の話がテレビで紹介されていた。
よく雑誌の広告に、パワーストーンの販売があったりするが、その商品は880円という格安のブレスレットだったそうだ。それを購入すると、後で使い方を電話で紹介するという。で、業者の方は、その電話の会話からでお客が何に悩んでいるのかを聞き出し、その後も何度も親身になって電話で話をしていく。ついには水子が付いている等と言って、「祈祷しましょう」と僧侶が出てくるのだそうだ。その祈祷料が、相手によって違うのだが、20~85万円とか。詐欺グループが相手の懐具合を会話から推測して、金額を決めていたという。

で、その僧侶も詐欺グループに騙されたというのだが、そもそも祈祷料の何十万円って、なかななか無いんじゃないかな。相場は無いような世界だが、近くのお寺を見れば分かるが、普通に祈祷って10万円を越えるものって、無いでしょ。
その僧侶にはたった数パーセントの金額しか流れていなかったそうだ。でも、お客さんの方は、実在する有名なお寺なので、信用してしまったというわけ。詐欺師と僧侶のタッグ効果は絶大だった。

そもそも“本物の”お寺ならば、お祈祷で開運できるのかという疑問も湧いてくる。

私は、テレビのディレクターをしていて、数年前にある尼僧を取材したことがある。
その時点で、尼僧は寺を任されて2年ほどのことであった。しかし、その前に在家僧侶としては20年以上の経歴を持っていた。
でも、彼女は、一人前の僧侶ではなかった。
宗派によって違うのだろうが、一人前の僧侶になるには、一定期間修業しなければならない。彼女の宗派では、一人前、つまり寺の住職という地位に就けるようになるには、1年間以上の尼僧堂での修業が必要だった。
彼女は、それが辛そうということで、ずっと先延ばししていて・・・尼僧堂の門戸を叩くことはなかった。しかし、今は空き寺、特に尼寺においては空きが多いので、“住職”ではないが、寺を任されていたのだ。
テレビ取材だから、カメラで撮影する。
朝のお勤めという当たり前の風景を撮りたいと頼んだが、お経を読むシーンを撮る時は、必ず師匠が一緒だった。
で、撮影した映像を見て気づいたのだが、・・・彼女は般若心経が読めないのだ。口の動きを見ていると、どうも、適当に合わせている感がある。なるほど、だからいつもお経を読む時は、師匠と一緒なのか・・・。
お経を読める読めないというのは、まぁ、平たく言えば、暗記しているかどうかである。お経と言うものは、リズムもあるが、意味の分からない妙な言語を目で追っていては、お経のスピードに付いていけない。だから、僧侶は、皆とっくに暗記している。僧侶が経本を開けているのは、経本の文字に目を通し、お経の意味を噛みしめながら声に出すためなのだ。
とは言うものの、正直、般若心経ぐらいなら、暗唱できる人は一般の方でも大勢いる。仏教系の高校や大学出身者ならば、特に多い。というのも、般若心経を読めると単位をくれる学校もあるからだ。たった2~4分のものである。
私は、般若心経は読めない。というのも、我が家は浄土真宗だからである。浄土真宗は般若心経を読まない。その代わりに正信念仏偈というお経を読む。9分~12分ぐらいのお経だが、実は、私は暗唱できる。何度も読んでいるうちに覚えてしまった。
だから、般若心経が読めない僧侶というのは、私にとっては“うっそ~”というあきれたレベルなのだ。いや、私でなくても、般若心経が読めない僧侶なんて、普通に“うっそ~”というレベルだろう。
だぶん、彼女は毎朝のお勤めを怠っているな・・・。

彼女は一般の方々の人生相談に乗っていた。30分、数千円という料金設定であった。
まぁ、そのくらいならいい。
しかし、こそこそと師匠の僧侶と、墓地経営を始めようという話をしていて「1つ、50万円くらいかな?」「いやいや、100万くらいはいくんとちゃう。」というような話をしていたりして・・・なんともいかがわしい生臭坊主であった。

彼女は尼僧ではなく、言ってみれば“コスプレ尼僧”なのだろう。

彼女は、師匠とともに地鎮祭もしたりした。師匠とともにだから、まぁ、いい。
しかし、彼女は自分がご祈祷したというお札やお守り、御幣を販売していた。
お守りは数百円だから、まぁ、許そう。しかし、お札の方は、万単位になっていた。それをインターネットで販売していた。
彼女自身が心を込めて、ご祈祷したというのだが・・・。


ここで、上の開運商法のテレビの話に戻るのだが、寺の僧侶が祈祷していたら、それは“本物”なのか??ということだ。
素人の詐欺師が祈祷していたら、偽物で、ウソ、犯罪ということになる??

彼女の例で言えば、ネットで寺を検索すれば、ちゃんと実在するそれなりの歴史のあるお寺であるいうことが分かる。で、彼女は、住職になるための修業していないし、般若心経も読めないが、広い意味での“僧侶”であることには違いない。

では、彼女が祈祷したものであれば、ありがたい“本物”なのか?

どのくらいのお寺の僧侶のご祈祷なら、ご利益があるのだろうか。その境界線は?

かなりグレーである。


数か月前に、星占い師の私にあるお誘いが来た。
インターネットで講座をしないかというものだった。動画である。録画して流しているので、好きな時間にその講座を見ることができるということがウリのようだ。LIVEで行う時は、双方向で質問のやりとりもできるという。
私は、画面を通じて話すより、教室で直に講座がしたいのでお断りをしたが、そもそもそのシステムや技術、ビジネスモデルに興味があって、いろいろ話を聞かせてもらった。
で、担当者が面白いことを語った。
カルチャー講座の100種類近く揃える予定なのだそうだ。で、試行期間があったのだが、そのうちに占い系、スピリチュアル系が増えていき、今では講座の半分くらいがその類になってしまったという。
街のカルチャー教室を見れば分かるのだが、実は、お茶、お花などの習い事は下火なのである。せいぜい頑張っているのは英会話ぐらいであろうか。ヨガとか、マナーなどのメニューでは、ネット上では、なかなか数千円という金額をお客さんが払ってくれないのだという。
ところが、占い、スピリチュアル系になると、桁が1つ上がるのだそうだ。万単位である。お客さんの金払いがいいのだ。
占い師や霊視の先生にもともと付いているお客さんは、ネットで気軽に話が聞けるとして、ありがたがり、その会社にとっては安定した収入確保につながっていた。
会社としては、そうなると、自然と占い、スピリチュアル系の比率が増えていき・・・でも、メニューの半分と言うのは、もうすでにカルチャー講座でないような気がするのだが・・・。

でも、私がお断りした最大の理由が、その担当者いわく、
「私は占いというものを信じないのですが、お客さんの受けが良いのですよ。特に霊感系は良いですね。」

つまり、儲かるということだ。

占い、スピリチュアル系はだんだんマーケットとして、認知されてようとしている。これまで、いかがわしい世界として、会社としては信用を無くしそうで、手を出さなかったような領域であるが、有望な未開拓市場として進出してきているようだ。

事実、本屋さんの売れ行きトップ10の中には、自己啓発本風の幸運・開運系の占い、スピリチュアル系の本がずらりと並んでいる。

この間、あるスピリチュアル、好きの人たちの集まりに誘われて、出席した。私はただ美味しそうな釜飯のお店だったので、二つ返事で出席を決めたのだが、後でそういった集まりだと知った。別にそのことは気にしていない。星占い師をしていれば、そんなことは日常茶飯事で慣れている。

その集まりの冒頭で、数人の人が、今流行りの本を取り出して話をしていた。
実は本や出版関係者もいる集まりだった。

「見て、この人、数百万円のお金が手に入ったんだって。」
「それがどうしたの、こっちの人は2000万円の借金を返したんだってよ。」

う~む、たとえスピリチュアルの世界でも、パワーの強さは金額の数字で測られるのが、世の常なのかな。

「この人は、年収1000万円を捨てて、この研究しているんだって、・・・なんかこの書き方が未練がましいのよね・・・。」

まぁ、そんな話でキャッキャッと沸いていたのだ。

こんな風に、占いやスピリチュアルといった、かつてサブカルチャーの分野だったものが、出版業界にとっては、今や期待のヒットコンテンツになっているのだ。

でも、所詮は占いやスピリチュアルは、グレーゾーンの商売である。
儲かるからと言って、まっとうな会社が平気で手を出すのは・・・節操と言うものがあると思うのだが。後ろめたさとか、節度というものを持っていないとねぇ。

開運商法で、数十万円の被害を出せば、訴えられ、犯罪となる。占い師でも、開運グッズ、もしくは開運を匂わせるグッズを販売したら、どうなんでしょうね。
つまり、鑑定や祈祷された人が騙されたと思い、その被害金額が個人にとって、痛手になるほどの大きさであれば、犯罪ラインに入ってしまうということだ。

占い師には“犯罪ではないくらいのグレーゾーンにいる”という謙虚さは必要だと思うのだ。
詐欺という黒は犯罪である。黒色まで行ったら、罰を受ける。
グレーゾーンだから、見逃してもらっているという謙虚さ。

しかし、グレーゾーンという領域は、実は社会にとって必要な面も備えている、と思う。

私は大学生の頃、家庭教師のアルバイトをしていた。当時の家庭教師は、新聞などに告知して、お客さんと直接交渉して、仕事を成立させていた。私はこの家庭教師という仕事は、大学生にとって、良いビジネスの練習になると思っていた。雇われるのと違い、自分でお客さんという消費者と商売をするのだが、こんなチャンスはなかなかない。
だから、当時の世の見方として、この家庭教師という商売は大学生のためにとっておいてやろうとみたいな風潮があった。
大学生が、個人というレベルで、それぞれ小さく営んでいた。
でも、時代が進み、世の中がせちがらくなった。企業が家庭教師という市場をごっそりと底引き網で獲るように持っていった。そりゃ、大学生が個々にやっていたことだから、あっという間に奪ってしまったでしょ。
それなりの資本を持つ会社がテレビ広告を打って、ごっそりと。今では、家庭教師はまるで派遣業にようになってしまった。

家庭教師だけじゃない。塾もそうだ。昔は町内にちょっといい大学を出たけど、会社員に向かないようなお兄さんが寺子屋のような、自宅を改築した小さな塾をやっていたりした。今はそういう塾はほとんど見かけなくなった。

隙間というか、その部分は残しておいた方がいいんじゃないの? という領域は社会にも、ビジネスにもある。
でも、今の日本は、余裕も隙間もねごそぎ持っていくからね。
しょうもない商売でもすぐにチェーン化したり、買収したりして、すぐにビジネス書通りに成長志向の会社組織にしてしまう。

占いっていう商売は、昔のイメージで言えば、寒空にデパートの前で、持ち運びできる小さなテーブルに黒い布を敷いている易者だな。手相とか。なんかただ座っているだけの正体不明の不気味なおじさんという感じ。
“当たるも八卦、外れるも八卦”なんて言いながら、責任を真面目に問われることない、いい加減な、社会の片隅のネズミのような存在でしょ。

社会に適合できず、行き場を無くした人が最後の最後に就くような、場末の仕事みたいなところがあったんじゃないかな。

私が思うに、占いぐらいは、行き場の無いダメ人間のためにとっておいてもらいたいものだ。
生きる場をどこにも見出せない人が、“仕方ない。占い師にでもなるか”という具合に、生きる術を得られる場を残しておかないと・・・本当に世の中に隙間が無くなりそうでね。
嫌なんだな。

私がホロスコープ講座をやっているのは、そういう意味もある。
星占いが好きな人は、“芸は身を助ける”ではないが、星占いをマスターすることで、生活の保険にしておいてもらいたいのだ。そうすれば、少しは心に余裕ができるであろう。

でも、星占い師がスター気取りであまりスポットライトの当たる表舞台に立っていると、資本のあるメディア、プロダクション、広告代理店なんかが一気にこの占い市場を狙ってくるのだろう。社会に認められた健全な市場となると、すぐに“ちゃんとした”組織に奪われてしまう。

でも、開運商法のいかがわしさ、グレーゾーンという見られ方が占い業界のバリアーになっているところがある。
闇に光が当たるようになれば、ねずみはすぐに潰されてしまい、生きられない。
隙間のない社会は、可哀想だ。

詐欺はいかん。絶対に許されない。
でも、そんなバランス感覚というものが、人にも、世の中にもあって欲しい。

私は、多くの人を鑑定してきて・・・
占いに限らず、人が逃げ込む 隙間や闇 というものは残しておいた方がいいと思うんだな。