札幌での講座や鑑定も好評のうちに無事終えることができまして、

札幌の皆さま、ありがとうございました。

 

予定の3週間前に地震があって、北海道全土が停電ということもあって、無理かなぁと思っていたけど・・・講座の参加予定者が無事で、講座を希望されていたので、なんとか開催にこぎつけられたと。

現地で余震も経験したけど・・・、帰りの便は、台風の翌日という、運良く、なんやかんや上手くいったと。

 

で、いろいろ苦労もあったけれど、

なぜ、私が札幌に行ったかというと、単純に、ただ飛行機に乗りたかったからである。

 

ふと天を眺めた時に、青空をひゅ~っと小さく飛行機が飛んでいる、なんてことは普通の出来事ですが、

“そういえば、久しく乗っていないなぁ、なんだか、乗りたいなぁ、飛んでみたいなぁ”と思ったわけですよ。

私は名古屋に住んでいて、まぁ、地形的には日本の真ん中あたりになるので、東京、大阪へは新幹線で行ってしまう。国内のだいたいのところは飛行機より鉄道の方が便利に行ける。

名古屋人が飛行機に乗るとしたら、札幌か沖縄くらいとなるのですよ。

で、札幌でホロスコープ講座をやろうと考えたわけです。

4年半ぶりの札幌ですよ。

 

情報があまりなく、どう実行しようかと思っていたけれど、縁がいろいろできてですね。

札幌の鑑定では、“北海道の母”と呼ばれる占い師の羽妙(うたえ)さんに場所をお借りすることができた。

検索で“北海道の母”と入れれば、簡単に見つかりますよ。北海道では、テレビや雑誌などのメディアによく出られているそうなので、私なんか比べものにならないくらいに知名度もあって、お忙しい人でしてね。

羽妙さんは、月末の週末は、東京の麻布で鑑定している。そのタイミングで私が札幌に行ったので、ちょうど鑑定している場所を開けていて、提供してくれたというわけ。ラッキーでした。

赤レンガ造りのこじんまりとした、カフェ・ロッソというお店。黒くて、ズドンとした古いダルマストーブがあってね。札幌を感じさせる。音楽のセンス、ボリュームも心地良い。

マスターはリーゼントヘアで、腕の先まであるタトゥーを長袖で隠すようにしている。シャイな感じの人で、口数が少ない。カウンターには、釣りのルアーがずらりと並んでいる。マスターの趣味なんでしょう。金属の輝きでいろんな色にきらきらしていてね。私はルアーに興味はないが、そのオタク度も合わせて、なんだかお店全体が上手いこと相まって、落ち着く空間になっていた。

そういう場所で、美味しいコーヒーや紅茶を飲みながら、鑑定できて、心地良かったな、と。

だから、鑑定ではない後日にも、ついこのお店に足を運んでね、一人カウンターでぼーっと、窓の外の歩く人たちを眺めていましたよ。

 

西洋占星術では、定められた宿命といったものは語らない。

例えば、“将来、あなたは看護師になっている”ということは言わないのだ。“看護師に向いている”と言うことはあってもね。水晶占いのように将来の姿が、ビジュアルに見えるなんてことはない。

今あるあなたの生活スタイル、ステージは、生まれてからこれまでの何千、何万という選択の結果なんですよという考え方をする。

西洋的な、“自己責任”という考え方だ。

その上で、運気の良い時、悪い時、追い風が吹く時、向かい風が吹く時が分かるというスタンスである。

 

なんだか、もっとはっきり将来どうなっているのか、具体的に教えてよと言われるかもしれない。

でも、よく考えてみると、そもそも世界中にいるあなたと同じようなホロスコープを持った人が、同じ職業をしているわけではないし、同じ時期に結婚しているわけでもない。

双子の人の人生を見れば、すぐに分かる。

それはその人の住む生活環境の中での、選択の結果なんですよ、ってね。

 

では、何故、西洋占星術ではそんな考え方になっているのか。

実は歴史的な要因が大きいのですよ。

 

西洋占星術の起源は、メソポタミア文明と言われる。今でいう、中東アジア。でも、エジプトにも占星術があったから、本当は、いろいろ混じったというのが、正しいところなんだろう。

惑星の配置を書き出した本格的なホロスコープは古代ギリシャ時代に出来上がる。

で、ローマに伝わっていってさらに発展していくのだが、およそ2000年前には、キリスト教が生まれてしまうわけですよ。

キリスト教は、占星術とか、魔術といったものを禁じた。キリストというより、キリスト教団という組織にとって、神様以外に未来を語ることができるものがいては困ったのかもしれないね。

で、星占い師たちは迫害を受けるわけです。そのため、西洋占星術は衰退していくと。

 

でも、ルネサンス期になると、イスラム圏から、芸術、錬金術なんかと一緒に、占星術も入ってくる。ギリシャの占星術は、イスラム圏にも広がっていたということ。つまり逆輸入ですよ。

ルネサンスというのは、キリスト教の十字軍が聖地エルサレムを奪還するために、軍を派遣するも、当時のイスラムの国々は強過ぎて、すぐに取り返されてしまうの繰り返し。

そんなことを何百年もやっているうちに、イスラムの文化、技術をヨーロッパに持ち帰ってしまうところから始まるわけですよ。

そこで、再び、ギリシャ、ローマの系統の占星術は甦っていくのだが・・・普通に考えて、キリスト教が許すはずがない。それでも、こっそり占星術は支持されて研究されていくみたいな。

 

今から3年くらい前にウィリアム・リリーの「クリスチャン・アストロロジー」という本の日本語訳の本が出版されました。ハード・カバーの本。ウィリアム・リリーは西洋占星術の世界では、“中興の祖”的な偉大な星占い師であります。西洋占星術の復活に大いに貢献した人物ですよ。

鏡リュウジ先生が推薦し、研究者は必携の本と帯に書いたものだから、日本語訳の本は売れましたし、私も買いましたが・・・私はそれほどお薦めしませんね。西洋占星術を身に付けたいという人にとっては・・・現在の医学生が杉田玄白の「解体新書」を読むようなものでしょう。

 

イングランドに住んでいたウィリアム・リリーがこの本を著したのが、1647年。

まだヨーロッパでは、“魔女狩り”が最盛期でしたしね。魔女狩りって言っても、女性だけでなく、男性も処刑されているわけでね。ガリレオ・ガリレイが宗教裁判にかけられて、地動説を放棄したのが1633年ですよ。「それでも地球は回っている」って言ったということで有名ですけどね。

キリスト教、ローマ法王の力は、今とは比較にならないほど絶大だったわけです。そのローマ・カトリックは度々、占星術の禁止令を出していましたからね。

 

でも、この題名に注目すると、“クリスチャン”が付いている。“キリスト教の”ですよ。

そのまま訳せば、“キリスト教の占星術”という題名の本。

占星術の内容を、キリスト教の教義に合うようにしてあるものなのか、ただ単に教会の検閲をパスするために“キリスト教の”と付けただけなのかは、その頃あった他の占星術が分からないので何とも言えないですけどね。

当時、イギリス国教会は、占星術を禁じていたローマ・カトリックに対抗して、占星術を公認していたところがある。ウィリアム・リリーがそんな流れを利用したのかもしれない。

 

まぁ、どちらにせよ、ルネサンスと言っても、占星術を取り巻く状況はそんなんだったわけですよ。

つまり、西洋占星術はルネサンス時代に復活するに当り、キリスト教の洗礼を受ける形になるわけ。

絶対的な権力に従わなって、迎合していかないと生き残っていけないですから。

キリスト教では、人間は自由意志を持っていて、その未来は神の意志によって左右されることになっていますし、定められた宿命のようなものはないとなっている。(こんなことを書くと・・・キリスト教徒といっても、今は、多くの宗派に枝分かれしているので、宿命論を唱える宗派もあるかもしれない。)

 

普通に考えれば、占いというのは、すでに未来は決定づけられていて、それを知るための技法のことでしょ。

 

でも、キリスト教の下では、そのスタンスが取れないので、“星から何らかの影響を受けている”という具合に、中間を取っているとも言えるわけです。

 

そうして、西洋占星術では、定められた未来はなく、人の自由意志と選択と行いによって、未来は変わっていくという考え方がベースとなっているわけです。

歴史的に見て、キリスト教に忖度(そんたく)したためとも言えるかな。

近代、現代に入って、西洋占星術の形はさらに変化していくのだけれども、その考えは深く根付いているわけですよ。

 

マッチョに積極的な言い方をすれば、未来は自分の意志で切り開いていくものだ、となるかな。

私はそれほど積極的な性格ではないが、未来は自分の選択によって変わるという発想の方が受け入れやすいかな。今の自分は、過去の自分の選択の結果という。

「バック・トゥ・フューチャー」という映画なんて、どう見ても、未来は選択によって変わるという思想の上でストーリーができていますもんね。

 

ただ、その流れの上で、追い風、向かい風のように、順調に行く時と、そうでない時があって、それはホロスコープで知ることができると。

 

 

4年半前に札幌に来た時は、まだテレビのディレクターの仕事で、TPPが日本の畜産に与える影響を調べるために取材に来ていた。

フリーのTVディレクターだったんですよ。当時は、政治経済の討論番組を担当していて、・・・一方では星占い師にやっていて、という具合で二足のわらじを履いていましてね。我ながら、報道番組部の統括ディレクターと、星占い師って、なんか怪しくて、奇妙だなと思ってましたよ。

それにしても、まさかその4年半後に、こうしてホロスコープ講座の開催のために札幌に訪れるとは予想もしていなかった。

 

まぁ、これも私の選択の結果ということでね。

宿命、使命なんて仰々しいものではないですよ。

ただ飛行機に乗りたかっただけ。

 

札幌で講座と鑑定をしても、交通費と宿泊費、飲食代ぐらいは十分に得ることができている。

講座は、どこで行っても“これまで受けた西洋占星術講座の中で一番分かりやすくて、面白かった。”と増々言われるようになった。私も講座内容は常にブラシュアップしていますからね。

思うに、この調子で進めていけば、私は国内ならどこへでも行けるのではないかと思った。スナフキンのようにふらふらと行きたいところ、どこへでも行けるのかしら。金銭的にマイナスにならなければ、そんな旅を続けることができる。

自転車に荷物を積んで、“日本一周中”と書いて、巡ることも可能かもしれないと夢想は膨らんだりする。

 

札幌で、名古屋で昔仕事をしていた後輩に会って、

“つぼぼさんは、札幌より、福岡の方が合ってそうだよ。”と助言される。

彼女は、Webの仕事をしているのだが、福岡へも仕事で通っているという。

いろいろ情報も頂けるようだ。

 

なら、来年は、福岡に行ってみようかな。